2008年01月10日

テスト終了で

 そんなわけでなぜか今年は、今日テストが終わってしまいました。多分単位取れたでしょう。そんなわけで多分卒業もでき、4月から未知の野郎だらけの集団生活へ突入であります。

 大学生活というか、この小学校から続いた学生なる身分の生活を振り返ると、私の得たものは何だろう?という思いに駆られるのです。
 
 「自分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なの。他人を隔てるための顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった頃の記憶、未来の予感・・・」ってのは某映画で某少佐がのたまった至言ですが、生まれてこの方、私のアイデンティティーもようやく固まって来たらしく、私の生き方もどうやら方向性が決まってきたらしいです。  
 
 ちなみにこのセリフはさらに「それら全てが私の一部であり,私という意識そのものを生み出し,そして同時に私をある限界に制約しつづける」と続きます。アイデンティティーが固まるにつけ、自分の生き方も自ずと定まる反面、自分の限界や自分には不可能なことも見つかるようです。何かを得るなら何かも捨てたり諦めたりすることがどうやら大人になるということというわけでしょうな。

 自分が何に価値を見出し、何を限界と認識し、これから何を為していくのか、その答えには望むと望むまいと関わりなく、学生生活で得たもののいくつかは選択し、いくつかとはお別れせざるを得ないという未来が示されているようです。後者にあっては誠に残念ではありますが。

 さて、今日の朝刊の見出しによりますと新テロ特措法が近々成立するそうです。
 
 テロとの戦いは恐らく戦いの期間を経ていずれ和解の時期を迎えなくてはならんでしょう。だとしても恐らく戦いの期間はまだまだ続きそうです。アフガニスタンでの掃討作戦は最低でも数年を要するらしいです。そのうちこの新テロ特で派遣される自衛隊も人々の忘却の彼方になるのかもしれません。ゴラン高原でのPKOは今年で12年目、第24次派遣部隊から25次、26次と今年も続きますが、もはやメディアも取り上げることなどありません。

 「安全保障とは酸素のようなものである」と言ったのはジョセフ・ナイですが、まぁ大体当たってるように思います。無くなると困るどころのものではありませんが、普段気にしません。
 これは逆に言えば、安全保障に関わる人々は縁の下の力持ち、日陰者的役割を果たすというわけですね。
 
 そこに共感する私を形成しているのは、間違いなく私が私であるための多くのもののせいなのでしょうし、そのあたりが私の限界でもあるのです。
posted by nyago at 15:42| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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