2008年02月08日

自分の立ち位置

 こういうことを書くと、後々、面倒なことになりはしないかと思うものの、まぁこういうことを書く機会が永遠に失われる前に備忘録的に殴り書いておこうと思います。長くなるので↓をクリックでどうぞ。

  
 私は、実のところ大きい考えなど何も有りはしない。天下国家のことは、まぁ実感がなさ過ぎて全くよく分からない。そんなわけで主義や主張というほどのものもない。
 
 しいて言うならナショナリスティックな考えにも市民主義的な考えにも全面的には賛同しかねるということだけは確かだけれども。わかりやすく言うと『正論』や『諸君!』の考えにも『世界』や『週間金曜日』の考えにも賛同できるところはあるし、疑問を抱く部分はあると。

 ただそれをしてバランス感覚があるかというと、そうでもない。所詮、それは私の中の主観、立ち位置が決めることであってそれをして自らをバランサーだとか真ん中だとかいう傲慢さを私は持ち合わせちゃいない。

 なら自分の立ち位置はなんだろうかと考えた時、結局行き着いてしまうのは押井守がパトレイバー2で後藤と荒川に語らせた『正義の戦争、不正義の平和』論に行き尽きてしまう。アニメ映画に行き着くあたり皮肉というか私らしいというか(苦笑)。
 
 でも恐らく、私は押井氏と違って後藤の立場に経つだろうと言うこと。不正義の平和、欺瞞に満ちた平和でも結局、それが崩壊するよりはマシだろうと。今日と変わらぬなんとはない日常の明日を維持し続けることが誰彼にとっても人生最も幸せなんだと思う。

 けれども、ひとつ気になるのは、そんな不正義の平和を生きる自分が負っている責任と業についてのこと。この世界のシステム(=大部分は経済システム)の中で自分が生きるということは、確実に誰かの死の上に立脚しているような、そんな気がするのです。
 世界が誰彼にとっても幸せではなく、争いが絶えず、まぁそれにもがき苦しむのなら、一応それを背負える立場に立てればいいのかなあと。

 ようは偽善というか所詮は自己満足の世界でしかないということは気づいてはいます。

 まぁなんのことはない、所詮私も私のやりたいように生きる。エゴのために生きるといったところでしょうか。

 そうそう「愛する人のために死ぬ」とか「誰かのために死ぬ」と言えるほど高級な人生歩んでませんし、そこまで達観してもいませんな。

 まぁそんなカンジです。ようは自分のために生きるということでしかないわけです。
posted by nyago at 22:20| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 以上無用のことながら | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なげぇ〜。笑
Posted by 上総 at 2008年02月09日 02:28
あ、出たな上総。

これでも無駄な部分は全部省いたつもりぢゃ。まぁ殴り書きだけど。
Posted by nyago at 2008年02月09日 07:58
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